エビングハウスの忘却曲線
エビングハウスの忘却曲線とは、ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウス(Hermann Ebbinghaus)が行った記憶研究をもとに、学習後の時間経過とともに、記憶した内容をどの程度保持・再学習しやすいかが変化することを示したものです。
エビングハウスは、1885年に著書『Über das Gedächtnis(記憶について)』を刊行し、記憶と忘却について実験的に研究した先駆者の一人として知られています。
一般には、「人は時間が経つにつれて学習したことを忘れていく」という説明に使われます。
ただし、よく見かける「20分後には42%忘れる」「1日後には74%忘れる」といった説明は、エビングハウスの実験結果をそのまま表したものではありません。
エビングハウスが主に測定したのは、学習した内容そのものを何%覚えているかではなく、再び同じ内容を学習するときに、最初の学習と比べてどの程度時間や反復を節約できたかという「節約率(savings)」です。
そのため、忘却曲線は「一定時間後に何%の記憶が消えるか」を正確に示したグラフではなく、時間の経過とともに再学習の容易さがどのように変化するかを示した研究として理解することが重要です。
エビングハウスはどのような実験を行ったのか
エビングハウスは、記憶に関する実験をできるだけ統制された条件で行うため、意味を持たない音節を使いました。
例えば、子音・母音・子音を組み合わせた無意味な音節を多数作り、それらを一定の順序で記憶しました。
意味のある単語を使うと、過去の経験や知識、連想などが記憶に影響するため、それらの影響をできるだけ減らすことが目的でした。
そして、一定時間が経過した後に同じ内容を再び学習し、最初の学習に比べてどれだけ少ない反復や時間で覚え直すことができたかを測定しました。
この「再学習に必要な労力がどれだけ減ったか」を表したものが節約率です。
節約率とは何か
節約率とは、一度学習した内容を再び学習するときに、最初の学習と比べてどれだけ学習の手間を減らすことができたかを表す指標です。
例えば、最初にある内容を覚えるために100回の反復が必要だったとします。
一定時間後に再び同じ内容を学習したところ、60回の反復で覚え直すことができた場合、最初より40回分の反復を節約できたことになります。
この場合、節約率は40%です。
つまり、節約率が高いほど、過去の学習の痕跡が強く残っていると考えることができます。
反対に、節約率が低くなるほど、再学習に多くの労力が必要になります。
エビングハウスの実験で示された代表的な節約率
エビングハウスの実験では、時間の経過に伴って節約率が低下していく傾向が確認されました。
代表的な値として、次のような数値が紹介されています。
約20分後:約58%
約1時間後:約44%
約9時間後:約36%
約1日後:約34%
約2日後:約28%
約6日後:約25%
約31日後:約21%
これらの数字は、「20分後に58%覚えている」「1日後に34%しか記憶していない」という意味ではありません。
あくまで、再学習するときに最初の学習と比べてどの程度の労力を節約できたかを表す値です。
例えば、1日後の節約率が約34%ということは、最初に学習した経験によって、再学習時の負担が約34%少なくなったという意味になります。
忘却は最初の段階で大きく進み、その後緩やかになる
エビングハウスの実験から読み取れる重要な特徴の一つは、学習直後から比較的早い段階で節約率が大きく低下し、その後は低下が緩やかになるという傾向です。
つまり、学んだ直後の記憶の変化が大きく、時間が経過するにつれて変化が緩やかになっていきます。
このため、新しく学んだ内容を定着させたい場合には、学習後の比較的早い時期にもう一度思い出したり、復習したりすることが有効な場合があります。
ただし、エビングハウスの研究だけから「何分後に必ず復習すべき」という固定的なスケジュールが決まるわけではありません。
記憶の保持には、学習内容の意味、難易度、本人の知識や経験、睡眠、学習方法など、さまざまな要因が影響します。
仕事でも、研修や講義で一度説明しただけで、相手が内容を長期間覚えているとは限りません。
特に、知識を実際の行動に変えるためには、「理解したかどうか」だけでなく、何度思い出し、どのように使う機会をつくるかも重要です。
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「20分後に42%忘れる」とは限らない
エビングハウスの忘却曲線については、「20分後には42%忘れる」「1時間後には56%忘れる」「1日後には74%忘れる」などと説明されることがあります。
しかし、これは節約率を「記憶している割合」と読み替え、その差を「忘れた割合」とした説明です。
エビングハウスの実験では、一定時間後に学習内容の何%を正確に思い出せたかを直接測定したわけではありません。
そのため、「1日で74%の記憶が消える」といった形で断定するのは適切ではありません。
むしろ、「学習直後は再学習の効果が大きく残っているが、時間が経過するにつれてその効果が低下する」と理解する方が研究内容に近いといえます。
エビングハウスの実験には限界もある
エビングハウスの研究は、記憶研究の歴史において非常に重要ですが、その結果をすべての学習にそのまま当てはめることには注意が必要です。
エビングハウスは主に自分自身を被験者として実験を行い、意味を持たない音節を記憶しました。
そのため、仕事の知識、語学、資格試験、専門技術など、意味のある内容を学習する場合とは条件が異なります。
意味のある情報は、既存の知識と関連づけたり、具体的な経験と結びつけたりすることで記憶しやすくなる場合があります。
また、個人差もあるため、すべての人が同じ速度で忘れるわけではありません。
忘却曲線は、記憶の仕組みを考えるための基本的な研究として重要ですが、「人間は全員この曲線どおりに忘れる」と考えることは適切ではありません。
復習によって記憶を定着させる
一度学んだ内容を長く記憶するためには、繰り返し学習することが有効です。
特に、一定の間隔を空けながら復習する「分散学習」は、同じ時間にまとめて何度も学習する方法よりも、長期的な記憶保持に有効な場合があります。
例えば、試験前日に数時間まとめて学習するだけではなく、数日から数週間にわたって何度か復習する方法です。
また、単に教材を読み返すだけではなく、「何が書かれていたかを思い出す」「問題を解く」「人に説明する」といった形で記憶を取り出す練習を行うことも有効です。
このような方法は「検索練習(retrieval practice)」と呼ばれ、学習研究でも広く研究されています。
人材育成に忘却曲線をどう活かすか
企業研修では、「研修を実施したこと」自体が目的になってしまうことがあります。
しかし、研修当日に内容を理解していても、その後使う機会がなければ、学んだ内容を思い出しにくくなる可能性があります。
そのため、研修後のフォローが重要です。
例えば、次のような方法が考えられます。
・研修後に内容を簡単に振り返る
・数日後に重要なポイントを確認する
・実務の中で実践する課題を設定する
・上司との面談で学んだ内容を振り返る
・他の人に内容を説明する
・一定期間後に再度研修や復習を行う
一度聞いた内容を何度も思い出し、実際に使うことで、知識が定着しやすくなります。
「理解した」と「できる」は違う
人材育成では、研修で内容を理解することと、実際に行動できることを分けて考える必要があります。
例えば、「部下の話を最後まで聞くことが大切」と理解していても、忙しい場面や感情的になった場面では、実際には途中で話を遮ってしまうことがあります。
知識を行動に変えるには、知識を覚えているだけでなく、実際の場面で何度も使う経験が必要です。
そのため、研修後に実践する機会を設け、結果を振り返り、再び試すというサイクルをつくることが重要です。
「中期記憶」という決まった段階があるわけではない
忘却曲線の説明では、記憶を「短期記憶・中期記憶・長期記憶」の3段階に分け、「復習すると中期記憶になり、さらに復習すると長期記憶になる」と説明されることがあります。
しかし、心理学や認知科学で一般的に使われる記憶モデルにおいて、「中期記憶」という段階が標準的な分類として定着しているわけではありません。
代表的には、短時間保持される短期記憶やワーキングメモリと、より長期間保持される長期記憶などが区別されます。
また、長期記憶の中にも、エピソード記憶、意味記憶、手続き記憶など、さまざまな種類があります。
そのため、「短期記憶→中期記憶→長期記憶」という固定的な3段階で説明することには注意が必要です。
忘却曲線から学べるのは「繰り返し思い出すこと」の重要性
エビングハウスの忘却曲線から重要なのは、「20分後に何%忘れるか」という数字そのものではありません。
一度学んだ内容も時間の経過とともに思い出しにくくなり、再び触れることで学習し直しやすくなるという点です。
企業の人材育成でも、研修で一度伝えて終わるのではなく、その後の仕事の中で繰り返し思い出し、実践する機会をつくることが重要です。
ただし、人が学んだことを実際の行動に移すかどうかは、記憶だけでは決まりません。
内容を覚えていても、「やってみよう」と思わなければ行動にはつながりません。また、上司の関わり方や本人が感じる価値、成功への自信なども行動に影響します。
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「教えたのに行動が変わらない」「研修をしても現場で実践されない」といった課題を、知識の伝達だけではなく人の心理という視点から考えたい方は、経営心理学の考え方も参考にしてみてください。

この記事の執筆者
藤田 耕司(ふじた こうじ)
一般社団法人日本経営心理士協会代表理事
公認会計士、税理士、心理カウンセラー
早稲田大学卒業後、監査法人トーマツに入所。独立後、日本経営心理士協会を設立。
高い成果を残す経営者・ビジネスマンの共通点を心理学的に分析し、人間心理に基づく経営・ビジネスの手法を経営心理学として体系化。経営心理学を用いて1200件超の経営改善を行う。
その成果の高さが認められ、金融庁や日本銀行でも教鞭をとり、日経新聞やダイヤモンド、東洋経済にも掲載される。







